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執筆者の写真keiichibaba 馬場敬一

美術鑑賞は自己中に

更新日:2022年9月29日

美術鑑賞が言語野頼りになると、思考は明確な答えを早急に出したがるので、のろまな感覚を置き去りにします。


言語による論理的回答を求めたくなる気持ちはよく分かります。 ですが、それは美術鑑賞の面白さを半減どころか、殆ど失っている様に感じます。

美術鑑賞って、魅力や解釈を独自に探し出す事が面白いんですよね。

どうやって描いてるかを想像するだけでも楽しいし、視点は無限にあります。

これって自己と対峙するいい機会だし、審美眼が鍛錬されます。


なんでも鑑定団的な審美眼は市場価値を基準にしているので知識ぐ必要ですが、好き嫌いや独自の解釈は自分勝手でいいと思います。


評論家の言葉や作者の意図は、しっかり鑑賞した後に答え合せみたいに使うと面白いと思います。

それでも、自分が感じ、考えた事を尊重した方が、美術鑑賞が個人的な体験となるので面白い筈です。


そもそも、言語と思考だけで捉えられるものではないので、答えの無い自由な美術鑑賞を楽しんで頂きたいなと思っています。


「芸術に明るくなく理解出来ませんが、、」なんて謙遜される方がまたに居らっしゃるんだけど、そんなの僕にもわかりません。

なんなんだ、芸術って。まるっきりわからないよー笑


美術に敷居の高いイメージが無くなると良いな、とずーっと思っています。


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