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執筆者の写真keiichibaba 馬場敬一

「馬場敬一展『人間発掘』とそれにまつわる手記」を終えて



「馬場敬一展『人間発掘』とそれにまつわる手記」無事終了致しました。

展示したのは2015年から2021年にかけて制作した作品28点。

今回の展示では、作品を通してこの10年を振り返り、手記を纏めてみました。

ご来廊下さった方の殆どが手記を読みながら、時間を辿るように作品を観て下さいました。


2011年末から2013年末迄の約2年間、末期癌の母の介護とその後の死別のショックで、1枚も絵を描くことがありませんでした。2014年に個展開催の機会を頂きましたが、長いブランクのせいと、母を看取った燃え尽きで、たったの4点しか作品を完成させる事が出来ず、過去作頼りの不甲斐無い展覧会で醜態を晒しました。


描けない絵を描く事が怖くなり、暫くは絵から逃げ、ゆっくりとリハビリの様なドローイングを手掛かりに、手を替え品を替えて制作してきました。

一度全く描けなくなった10年前からの作品を振り返ると、我ながら濃密な制作に向き合っていたのだと感じました。

それ以前の作品よりも圧倒的に手数が多く、時間をかけて絵に向き合っていたのだなと感じました。

昔の様な直感的な構図やアイデアが影を潜め、真っ直ぐに足下から掘り進める様に描いていたのだと思います。


僕は元より、絵を描くばかりの「画家」ではなく、総合的な表現者としての「芸術家」を目指して作家活動を続けてきました。

だから表現の全てを自分でやりたいので、展覧会をセルフプロデュースするし、文章を書くし、BGMをチョイスするし、案内状などのグラフィックデザインをします。

そんな僕がこの10年、制作において向き合い直したのが、「画家」であり「美術」でした。

以前は手数や技術で説得する様な作品を作りたくないと考えていましたが、今は自分が持つ全ての能力をフル活用してより良い作品を作ろうと考えています。

この意識の変化が、作品を大きく変えた様です。


作品のモチーフやテーマとして、度々母なる存在を描いた10年でもありました。

以前はあまり登場しませんでしたが、やはり母との死別が大きな転換点だった様です。

今回、2014年に母を描いた珍しい作品も展示しました。

母との死別は余りに辛く10年の時間がかかったけれど、僕はやっと本当に元気になった様に思います。


母の死から現在に至るまで制作に向き合えたのは、兎にも角にも支え続けてくれたパートナーのお陰です。

全く描けない鬱状態の時に出逢い、よくぞ今日まで僕を捨てずに居てくれたなあ、と感心してしまいます。

「絵描きのプロポーズは受けたけど、描かないなら出て行きますよ。絵を描いてください。」と、作家としての復活を応援し続けてくれた10年。

主夫業以外の全ての時間を制作に使わせてもらえたから、これだけ充実した制作が出来のだと作品を振り返る事が出来ました。


5月の横浜での新作の3人展と、11月に控える外苑前での新作の個展に挟まれた今回、どうしても過去作しか出せないという理由でこの様な小さな回顧展となりました。

過去作である事をポジティブに捉えてくださり、二人三脚で展覧会を作ってくださった gallery shell 102の鈴木知子さんとの時間は、とても楽しかったです。よくお話しして、よく笑ったなあ。


充実した時間でした。

皆様ありがとうございます。

今後共宜しくお願い致します!  

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